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コインロッカーの心臓

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二月二日

今日はピアノの発表会だ。
六人の先生達は普段のレッスンでは披露しない“自分”を盛大に演奏する。
それも全生徒が一年の成果を一曲に込め、様々な色を散らせた会場の中で、だ。
大学受験を控えた僕は、今回の発表会では完璧な傍聴者となった。

さっきからずっとプログラムに目を落としていたが、先生の名前を見つけることができない内に文字は溶けて同化してしまった。

深い橙色に染まった舞台。
六人の中でも一番若い僕の先生が、長く伸びたドレスを軽やかに引き摺って出てきた。
慎ましやかに口角を上げ、深々とお辞儀をする。
そして、大きな拍手と共に、先生は静かにピアノの前で落ち着く。
指が鍵盤に置かれ、ゆっくりと動き始める。
と、僕の中へと、徐々に何かが入ってきた。それは誰かの作曲したピアノ曲ではなく、少なくとも私の耳にしたことがないもので、
たとえばショパンの均一で連続した音階と、ドビュッシーの不可思議で繋がった音階を左手で同じ様に弾く位、頭が混乱するようなものだった。

ただわかるのは、それは、僕の先生が今まで僕には見せなかった、鮮やかで、弾力があって、しなやかで、みずみずしくて、奔放な音だ、ということ。
僕の知らない先生の横顔だ、ということ。
何の曲であるかなどもはやどうでもよく、僕はただその心地よく心をかき乱す音に体をゆだねていた。
いつもする先生の髪の毛の匂いがここまで漂ってきていた。

そして、曲は終わった。
先生の顔は綺麗に会場の橙色を支配していた。
さっきよりも、橙色が明度と彩度を増している。

「弾きづらいから」と、腕、特に指には何も付けようとしなかった先生が、一年ほど前から右の薬指を鈍く光らせていた。
僕は、それとなく気付いていた。
十年間、週に一度、一時間だけ僕の音を聴き続けてきたピアノの先生が結婚をしたらしい。

来週のレッスンを思い浮かべた。それはやはり、今までと何も変わらないだろう、と少し笑った。
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